お茶が入りましたよ:トップ>茶道を愉しむ>『南方録』を読む>4 客と亭主は、自然に相手の心にかなうのがよい

<4> 客と亭主は、自然に相手の心にかなうのがよい。


    客・亭主、互ノ心モチ、イカヤウニ得心シテシカルベキヤト問、易ノ云、イカニモ互ノ心にカナフ
    ガヨシ、シカレトモカナイタガルハアシゝ、得道ノ客・亭主ナレバ、ヲノズカラコゝロヨキモノ也、
    未練ノ人互ニ心ニカナハウトノミスレバ、一方、道ニチガヘバトモゝゝニアヤマチスル也、
    サレバコソ、カナフハヨシ、カナイタガルハアシゝ、


    【熊倉博士の語訳】


    「客と亭主のお互いの心の持ちようはどのように心得ておくべきでしょうか」ときいた。
    宗易(利休)がいわれるには「いかにもお互いの心にかなうのがよい。しかし、だからと
    いってかなうように迎合するのは悪い。茶の湯の道を十分に修得した客と亭主ならば
    自然と気持ちよいものである。未熟の人が互いに相手の心にかなおうとばかりすれば、
    一方が茶の湯の道にはずれるといっしょに誤った方向へ行ってしまう。だから自然と
    心にかなうのはよいが、意識してかなおうとするのはよくない。」

    

    【熊倉博士の解説概略】


    茶の湯には「出逢いの芸能」という性格がある。客と亭主、客と客同士が狭い茶室に出逢う。
    限られた時間と空間のなかに特別な人間関係が生れる。
    そのことを中世の茶寄合(ちゃよりあい)のなかでは一座建立(いちざこんりゅう)といった。
    一期一会も同じことを言っている。
    わずか数時間の茶会であるが、その一瞬一瞬は一生のうちに二度と再びくりかえし得ない
    時間の経過である。その一生に一度の人と人の出逢いの不思議さこそ、茶の湯の秘密で
    ある。茶の湯の点前も、道具も、趣向も、すべてこの人と人の出逢いをいかに素晴らしい
    ものにするかという、そのことのための馳走にすぎない。
    亭主の心が客に響き、客の心が亭主に反響する。

   
    (博士のこの解説に茶の湯の心のすべてがあるように思います。
     昨日でも明日でもなく今、あの人でもなく、この人との一瞬の出逢い。この不思議さを
    とにかく大事に過ごしたい。心と心のハーモニーを求めて・・)



    


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