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<32> 定法なきがゆえに定法あり。


    野ガケハ就中(なかんずく)、其土地ノイサギヨキ所ニテスベシ、大方、松陰・河辺・芝生ナド
    シカルベシ、主客ノ心モ清浄潔白ヲ第一トス、シカレバ此時バカリ清浄にスルニアラズ、茶一道
    モトヨリ得道ノ所、濁ナク出離ノ人ニアラズシテハ成(なし)ガタカルベシ、未熟ノ人ノ野ガ
    ケフスベ茶ノ湯ハマネヲスルマデノコト也、手ワザ緒具トモニ定法ナシ、定法ナキガユヘニ定法
    大法アリ、其子細ハ只ゝゝ一心得道ノ取ヲコナイ、形ノ外ノワザナルガユヘ、ナマシヰノ茶人
    カマイテカマイテ無用也、天然(てんねん)ト取行フベキ時ヲ知ベシ、
    
    


    【熊倉博士の語訳】


    野点はことにその場所の清らかなところですべきである。大体、松の木陰、川辺、芝生などが
    よいであろう。主人、客の心の持ち方も清浄潔白を第一とする。だからといってこのときばかり
    清浄にするのではない。茶の道は本来、仏教を悟得ところと同じ。濁りない、俗世間を離れた
    人でなくては成就できぬことである。未熟な人が野点で柴をくすべるような茶の湯は、まねごと
    をするだけで本当の茶の湯ならないのである。点前、道具ともに定法はない。しかし、逆に
    定法がないからこそ、そこには定法が、さらに重い法があるのである。野点の詳しい心得は
    ただただ一心得道のうえで自らあらわれてくる行動であって、形式を超えたわざであるから、
    いいかげんな茶人には決して必要のないことである。自然と野点の茶の湯ができるようになる
    ときを待つべきである。


    【語釈】
    フスベ茶ノ湯 : 野点の茶の湯。松葉や枯れ枝をくすべて湯をわかす茶、という意味。


    【熊倉博士の解説】

    野点はあらかじめ場所や時間を完全に決めておくことはできない。あらゆる状況に応ずる
    臨機応変の処置、自由自在のはたらきが亭主になければならぬ。その力はもはや技術と
    いうものではなく、まさしく心の力である。というのがこの本論である。定法というのはいわゆる
    習事である。一定の規則である。しかし定法はある決まった状況でしか使う事ができない。
    野点という予想のつかない状況ではもう定法は約に立たない。
    定法が使えない、ということは決して無法であってよい、ということではない。定法が使えない
    ため無法に流れがちな茶会を、統一ある美で貫くためには、かえって統一のための定法が
    つよく求められるのだ。その定法はあらゆる場でその条件を自由自在に使いこなす力という
    べきものだ。前の定法と同じものでない。だから定法であるとともに定法以上の重要な法という
    意味で大法といったのである。


    『定法ナキガユヘニ定法大法アリ』とはしびれる言葉ですね。


    


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