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<3> 利休の茶の湯の師匠たち。


    宗易ノ物ガタリニ、珠光(じゅこう)の弟子、宗陳・宗悟ト云人(いうひと)アリ、紹鴎(じょうおう)
    此ニ人ニ茶湯稽古修行アリシ也、宗易ノ師匠ハ紹鴎一人ニテハナシ、能阿弥ノ小姓ニ右京ト
    云シモノ、壮年ノ時、能アミニ茶ノ指南ヲ得タリシガ、後ハ世ヲステ人ニナリテ堺ニ居住シ、
    空海ト申ケルニ、同所ニ道陳トテ隠者アリ、常ゞ心安クカタリテ、茶道を委(くわし)ク道陳ニ伝授
    アリシト也、又道陳ト紹鴎、別而(べっして)間ヨカリケレバ、互ニ茶ノ吟味トモアリシ也、
    宗易ハ与四郎トテ、十七歳ノ時ヨリ専(もっぱら)、茶ヲコノミ、カノ道陳ニケイコセラル、道陳ノ
    引合(ひきあわせ)ニテ紹鴎ノ弟子ニナラレシナリ、台子・書院ナトハ、大方道陳ニ聞レシナリ、
    小座敷ノコトトモハ、専、宗易ノクミタテ、紹鴎相談ノ子細ナル由、語被申(かたりもうされ)シ也、
      <以下略>


    【熊倉博士の語訳】


    宗易(利休)の話のなかに、「珠光の弟子に宗陳と宗悟という人がいた。紹鴎はこの二人に
    ついて茶の湯の稽古修行をした。私の茶の湯の師匠は紹鴎一人ではない。
    能阿弥の小姓に右京という者がいて、壮年のときに能阿弥から茶の教えをうけたが、のちに
    世捨て人になって境に居住し空海とよばれた。同じ堺には道陳という隠者がおり、空海は
    ふだんから心安く話相手になって、茶道をくわしくこの道陳に伝授したという。
    また道陳と紹鴎はことに仲がよかったのでお互いに茶の湯の工夫などもしたのである。
    私はまだ与四郎といった十七歳のときからもっぱら茶の湯が好きになり、この道陳について
    稽古をした。そして道陳の紹介で紹鴎の弟子になった。台子の扱いや書院の茶などは道陳に
    聞いたものだ。
    小座敷のことなどはほとんど私の創造で、紹鴎と細かに相談した。」


    【熊倉博士の解説概略】


    ここで述べられている利休の茶の伝統は、二つの系譜の茶が利休において総合されたことを
    しめしている。
    一つは:珠光⇒宗陳・宗悟⇒紹鴎⇒利休
    もう一つは:能阿弥⇒空海(能阿弥の小姓 右京)⇒道陳⇒利休
    前者はわび茶、後者の系統は書院台子の茶である。
    この二つの対照的な茶の伝統が利休において総合されたことを語ろうとしている。


    (博士の以下の言葉に大いに共感する者です。)
    「利休が単なる”わび茶”のみを主張したのではなく、書院台子の茶を基本として、その約束事に
    精通していたことをふまえて、その上にわび茶の主張をなした」



    


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