南方録を読む
<2> 手水鉢の水にわび茶の心がある。
宗易へ茶に参れば、必手水鉢(かならずちょうずばち)の水を自身手桶にてはこび入れらるゝほどに、子細を問候へば、易のいわく、露地にて亭主の初の所作に水を運び、客も初の所作に手水をつかふ、これ露地・草庵の大本(たいほん)也、此(この)露地に問ひ問ハるゝ人、たがひに世塵(せじん)のけがれをすゝぐ為の手水ばち也、寒中にハ其寒をいとハず汲はこび、暑気にハ清涼を催し、ともに皆奔走の一つ也、いつ入たりともしれぬ水こゝろよからず、客の目の前にていかにもいさ清く入れてよし、 <以下略>
◇ 熊倉博士の語訳
宗易(利休)の茶の湯へ行くと、必ず、手水鉢の水を自分自身で手桶に入れて運び入れるので、そのわけをたずねてみた。
宗易がいうには、「露地で亭主が最初にすることとして水を運び、客も最初にすることとして手水を使う。
これが露地・わびの草庵の一番大切なところである。
この露地に相手を訪ね、またそれを迎える人が、お互いに俗世のけがれをすすぐための手水鉢である。寒中はすの寒さを厭わず水を汲み運び、暑いときにはさわやかな涼しさが感じられるように、いずれも亭主の御馳走の一つである。
客の目の前でいかにもすがすがしく入れるのがよい」
◇ 熊倉博士の解説概略
露地は広い意味では茶庭全体をさすが、狭くは茶庭の入り口から茶室までの通路。
亭主は準備ができると手水鉢の水をあらためて客に用意のできたことを知らせる。
露地が客と亭主の最初の挨拶の場になる。
手水の水を使うのは単に衛生のためではなく、心身を清める儀礼なのである。
たとえば神社の鳥居の前には必ず手水鉢があり、ここで参拝者は身を清め、「ケガレ」が神域に及ばぬようにする。
茶室の手水も日本人の「キヨメ」の意識にささえられた儀式であり、茶室は聖なる場所と考えられる。
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お茶が入りましたよ~