南方録を読む




<19> 掛物は道具の第一。 なかでも墨蹟が大切

掛物ほど第一の道具ハなし、客・亭主共ニ茶の湯三昧の一心得道の物也、墨跡を第一とす、其文句の心をうやまひ、筆者・道人(どうじん)、祖師(そし)の徳を賞翫(しょうがん)する也、俗筆の物ハかくる事なき也、されども歌人の道歌など書たるを被掛(かけらる)る事あり、四畳半にも成てハ又一向の草庵たハ心もち違ふ、能ゝゝ(よくよく)分別すべし、仏語・祖語と、筆者の徳と、かね用るを第一とし、重宝の一軸也、又筆者ハ大徳といふにハあらねども、仏語・祖語を用てかくるを第ニとす、絵も筆者によりて掛る也、唐僧の絵に仏祖の像、人形絵多し、人によりて持仏堂のやう也とてかけぬ人あり、一向の事也、一段賞玩してかくべし、帰依あるべき事、別而(べっして)也と易の給ふ、



◇ 熊倉博士の語訳

掛物ほど大切な第一の道具はない。
客にとっても亭主にとってもともに、茶の湯の道にひたすらうちこみ、心を一つにしてその道の悟を得る道具なのである。


掛物のなかでは墨跡が第一に重い。
そこに書かれた言葉の心を仏として敬い、その筆者である道人、あるいは祖師の徳を味わうのである。


俗人の筆になるものは掛けてはならない。
しかし歌人の仏道の歌など書いたものは掛けることもある。


ただしこれはわび茶の場合であって、四畳半にもなればまた本当の草庵とは心もはたらきも違ってくる。よくよくその違いをわきまえなさい。     


釈迦や祖師の言葉、筆者の徳、この両者をあわせ持つ墨跡を第一とし、これは重宝とすべき一軸である。


また筆者は大徳といわれるほどの人物でなくとも釈迦の言葉・祖師の言葉を書いた墨跡を第二とする。
絵も筆者によってわび茶の心にかなえば掛ける。
中国僧が描いた絵には仏祖の像や人物を描いた絵が多い。


人によっては持仏堂よようだといって掛けぬ人もいるが 一方にかたよった見方だ。
一層味わって掛けるべきであろう。
仏道、仏祖に深く心をよせるということがことに大切なのである、と宗易(利休)はいわれた。


【語釈】     
墨跡 : 掛物の一種。広い意味の墨跡は書一般をさす。
狭い意味での墨跡は禅僧が自らの禅境を吐露する語を揮毫した書をさし、したがって俗人の書や、単なる古人の書状、歌切などは含まない。     


道人 : 仏道に帰依する在俗の人。     


祖師 : 仏教宗門の祖にあたる僧。     


道歌 : 仏教の教えを主題にした和歌。     


大徳 : 徳の高い僧     


人形絵 : 人物画。よく布袋(ほてい)や寒山拾得などの人物画がある。     


持仏堂 : 個人的に信仰する仏像仏画などを自宅のなかにまちり部屋。



◇ 熊倉博士の解説概略

利休以前は道具のなかできわめて高い位置が茶壷に与えられていた。     
またある書物では茶に近き道具の第一は、茶入、茶碗である。


これに対して掛物は茶に遠き道具の第二という低い位置でしかない。


初期茶道にあっては掛物は軽視されていた。     
利休が掛物を重視したのは、掛物を通して茶の思想を豊富にすること、茶の精神性を深めることを意図したに違いない。


   

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