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<1> 茶の湯の真髄はわび茶である。


    宗易ある時、集雲庵にて茶湯物語ありしに、茶湯は台子(だいす)を根本とする
    ことなれども、心の至る所は、草の小座敷にしくことなしと常常の給ふハ、
    いか様の子細か候と申、宗易の云、小座敷の茶湯は、第一仏法を以て修行得道
    する事也、家居の結構、食事の珍味を楽とするは俗世の事也、家ハもらぬほど、
    食事ハ飢ぬほどにてたる事也、是仏の教、茶の湯の本位也、  以下略


    【熊倉博士の語訳】


    宗易(利休)が集雲庵で茶の湯の話をされたとき、「茶の湯は台子の茶を基本とする
    ものだけれど茶の心がもっとも深められるという点では草の小座敷に勝るものはない、
    といつもおっしゃってられるのはどういうわけですか」とたずねた。
    宗易がいわれるには、「小座敷の茶の湯は第一に仏教のおしえをもって修行し悟りを
    ひらくものである。建物の立派さや食事の珍味を茶の湯の楽しみだと思うのは俗世間の
    ことだ。家は雨がもらなければよい。
    食事は飢えぬほどあれば十分である。これが仏の教えであり、茶の湯の本当の心なの
    である」


    【熊倉博士の解説概略】


    利休は茶の湯に二つの形式があると述べる。
    一つは書院台子の茶で、これは唐物名物を棚に飾った、広い書院で行われ、
    武家貴族の社交と美術品の鑑賞をするための茶であった。
    その後、村田珠光が書院台子の茶を簡略化したわび茶の原型を始めた。
    書院台子の茶を「真」とすればわび茶は「草」の茶である。
    煩瑣な飾りや贅肉を削り、わずかに茶の湯の骨格だけを残した茶であるから、
    よけいなものに煩わされず、かえって茶の精神をよく表現できる。
    豪華な道具や棚はいらない。客と亭主は互いに語り合うほどの距離でなければならない。
    とすれば、客の気持ちが直接伝わってくるぐらい狭い、草の小座敷がよい。

    


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