南方録を読む
◇ 南方録(覚書)を読む7>
茶道をなさる人は一度は目を通しておきたい書物が「南方録」だと思います。
現在の茶道が、利休の茶から出発していることは異論のないところだと思います。
いわゆる「草」のお茶。「わび」のお茶。
それが利休のめざしたお茶であり、その利休のお茶を側で見ていた人
(ここでは禅宗の僧、南方宗啓)が禅と利休のお茶を結びつけて語っています。
私は、茶道が禅宗の専売特許的に言われることに若干の抵抗を感じていますが、それは別として、ここでは利休がめざした「わびの茶」が、どういうものだったのかを少しでも感じ取り、日頃のお茶の中で活かせれば、よりお茶の楽しみが深まるものと思います。
『南方録』を読むに当たって、熊倉功夫文学博士の書かれた解説書、『南方録を読む』が実に分かり易く、丁寧に書かれています。
ここではその熊倉博士の『南方録を読む』(淡交社)をもとに、南方禄のエッセンスとでも言うべき「覚書」の部分をご紹介してゆきます。
このページを作るに際して、ひさしぶりに本書を開きました。
利休の言葉に改めて心うたれます。そして厳しく心に刺さります。
我々は、いや自分は、この「覚書」のような心でお茶をしているのか・・・。
なにか忸怩たるを感じます。
書の世界では、書聖「王羲之」を超えることはできないと聞きました。
同じように、茶の湯の世界では「利休」を超えることはできません。
少しでも、一歩でも近づく努力が、お茶をすることなのかもわかりません。
ただ、利休さんのなかでは整合性があることでも、私のなかでは、なかなか釈然としない個所があることも事実です。
しかし、理屈ぬきで鵜呑みにしないといけませんね。
なお、さらに詳細を勉強される方は、『南方録を読む』 著者:熊倉功夫 発行:淡交社
を、ぜひお読みになることをお奨めいたします。
◇ 南方録(覚書)各論
1、茶の湯の真髄はわび茶である。
2、手水鉢の水にわび茶の心がある。
3、利休の茶の湯の師匠たち。
4、客と亭主は、自然に相手の心にかなうのがよい。
5、露地に水うつ三露の心得。
6、露地で下駄をはくかわりに利休は雪駄を考案した。
7、茶室の花は軽くいけるのがよい。
8、茶花に使わぬ花の狂歌。
9、夜会にも白い花に限っていれてよい。
10、夏は涼しく、冬はあたたかく。
11、茶の湯の朝仕事。
12、茶には常に早朝に汲んだ水を用いること。
13、夜会での燈火の心得。
14、雪の日には雪の美しさをこわさぬ工夫。
15、雪の夜会には燈籠の火を入れぬ方がよい。
16、深三畳と長四畳のちがいについて。
17、わび茶道具の取合せは不足・粗相がよい。
18、名物の掛け物にあわせて床天井をつくる。
19、掛け物は道具の第一。なかでも墨蹟が大切。
20、わび茶の料理は一汁ニ菜か三菜。
21、飯台は禅林の作法。質素な精進がふさわしい。
22、小座敷の壺飾りの心得。
23、小嶋屋道察の捨壺という趣向。
24、風炉では炭手前の拝見はない。
25、つるべ水指の扱い方。
26、手桶とつるべの扱い方の違い。
27、臨時の茶会には秘蔵の道具を出す。
28、小座敷の花入には竹の筒・籠・瓢がよい。
29、道具は亭主に正面を向ける。
30、茶入の袋のはずし方。
31、野外の茶の湯の心得。
32、定法なきがゆえに定法あり。
33、わび茶の心。
34、奥書。
『南方録』最後までお読みいただきましてありがとうございました。
あなたは利休居士の言葉や考えでどの部分に共感を持たれましたでしょうか?
この中で語られた利休居士の茶の湯の考えが大なり小なり私たちの日頃の茶道に表れます。
利休さんは『わび茶』と言われました。
このわび茶というのが私には今もって腹に入りきらないところです。
当時の茶の湯で唐物、名物が中心でした。その唐物から和物への転換の一つの改革でもあったのがわび茶の考えではないかと思うのです。
文字通りわび茶を「わびしい茶」と解釈するのか、「わびしさの美」というものがあるのか?
思いは駆け巡るばかりです。
『南方録』のなかにはこの後、「会」「棚」「書院」「台子」「墨引」「滅後」とあります。
最後の「滅後」もなかなかおもしろく、ひょっとしたら「奥書」よりおもしろいかも・・・。
いつかこのコーナーでご紹介をするかもわかしません。
それよりこのあと、ちょっとお茶室を見てみたいと思います。
茶の湯の完成は茶室の歴史と言ってもよいと思います。書院の茶の湯から紹鴎、利休、織部、有楽、遠州、不昧と自分の思想に基づいた茶室を作り上げています。
なかなかおもしろく、参考になります。
しばらく時間を戴いて茶室のコーナーでまたお目にかかります。
お茶が入りましたよ~