昭和レトロ

◇ 昭和の記憶  昭和レトロ

 昭和 レトロが今ちょっとしたブームになっているらしい。
それだけ昭和が遠くなって、懐かしさを持って語られるようになってしまいました。


レトロとはフランス語で、復古調、懐古趣味ということのようです。
レトロな物は、懐かしいという個人的な感情を注入することで成り立つということらしい。
従って、単に昔の物、古い物は骨董品となります。


 「懐かしい」という言葉はどれくらいの時間が経過すれば使えるのでしょうか?
人間なら5年10年くらいで「いやー懐かしいなあ~」と言えるのでしょうが、物なら20年以上経過しないと懐かしさは感じないでしょう。
  

しかも、そのもの自体が懐かしいというよりも、そのものを通してその時代を思い出し、その情景を思い出しながら懐かしさを感じているのです。


ある日、物置をガサゴソやっていると、30年前に使っていたゴルフクラブが出できました。
このクラブで練習場に行った日々、このクラブでコースに出ていた頃のナイスショットや、OB連発の場面を思い出しました。
確か最初に100を切ったのはこのクラブだった。
思い出多い、懐かしいクラブです。
でもこのクラブはレトロなクラブとは言わない。
なぜなんだろう。


私が懐かしいと思える品物は、昭和30年から、昭和45年までに集中しているようです。
私の懐かしさはその時代に凝縮されています。
そう言えば、最近は西暦表示がほとんど。
でも昭和は西暦で表すと、私は記憶と繋がりません。
19〇〇年といわれたら、昭和〇〇年と変換しないとピンと来ないのです。

子供の頃・・・


子供の頃、僕達は銘々、秘密基地を作っていました。   
銘々と言いましたけど、みんな秘密にしているから「持っていたはづだ」というのが正しい。   
それは我が家の二階の隅だったり、庭の木と木の間だったり、裏山の神社の境内の一角だったり。    

昭和レトロ
僕の住んでいるところの向かいに、200メートルくらいの城山と呼ばれる山がある。   
戦国時代、そこにお城があったと言い伝えが残っている。   
その山の中腹に水晶が出る場所があった。
にぎりこぶしぐらいの固まりの中に、米粒よりも小さい水晶がびっしり張り付いている。
そこは秘密でも何でもなく、遊び友達とその洞窟に入って採集してきて、それぞれ持ち帰る。
これが僕の宝物。
それを我が家の屋根裏で保管する場所が、僕の最初の秘密基地だった。


小学校の4、5年の頃だった。
父も母も、五つ違いの兄にも秘密の場所。
その秘密基地に宝物を並べた。
小さな固まりの中に、ゴマ粒のような水晶が林立している姿から、ニューヨークのビル街を想像したり、ヒマラヤの山脈を想像したり、ドラマはいくらでも広がる。   


真夏の屋根裏は、じっとしているだけで汗がしたたる。
でも空想は止まらない。


秘密基地・・・


本を読む秘密基地も作った。
場所は父の仕事場につづく木材倉庫の中二階。
ここには机代わりの板がそれこそ手当たり次第だ。
手ごろな板を置いて机にして、裸電球のスタンドを置いた。


ここで僕は少年文学全集を読みふけった。
そこは中学生になって天体観測の秘密基地に変わった。
レンズだけ買ってもらい、筒も三脚も手作り。
その頃は星の見えない満月前後の月が嫌いだった。
中学生の時は工作の秘密基地もあった。   


乾電池を使った工作を色々作った。
ニクロム線を巻いて電磁石を作ってモーターを回した。
豆電球がともるはずが、どうしても点かない時があると、なぜこの電球がともらないんだと、ご飯の時間を飛ばして夢中になり、母によく叱られた。
一人前に工具箱もあって、ペンチからノコギリ、ブリキハサミもあった。


秘密基地と書き出したトタン、こんな思い出がすっと出てしまう。
遠い昔、身体よりも、抱えている空想のほうがはるかに大きかった頃のことです。


手作りの秘密基地は「自分だけの世界に没頭できる」夢と現実が一致した楽しい空間でした。


最後の秘密基地をつくりたい!


今、現実に戻ると、世間の男性達は、我が家の中で一人っきりになれる場所がありません。
いやひょっとしたら、子供が巣立ったあとの部屋を秘密基地にしている、恵まれた男性もいるかもしれませんね。


我が家の茶室は、離れの一室に炉を切って、縁側の突き当りを水屋にしています。
でも、できれば「ニジリグチ」のついた3畳台目の茶室がほしくって、数年前に図面を引きました。


図面を描きながらまた空想が広がります。
ここには誰も入らせないで、抹茶だけでなく、中国茶も紅茶も、コーヒーも、何でも気楽に淹れて、飲んで、本を読んで、ゴロ寝して、時間を忘れる自由な部屋にしよう・・・。   
これが僕の最後の秘密基地だ!


今現在、その何枚かの図面がアクビしながら本棚の隅にあります。(理由はきかないでください)(涙)  


『秘密基地』……あぁ、なんという魅力的な響きなんだろう。
そこで、僕は今、秘密基地を作りたい!っと思った。


もうこうなったらバーチャルでもなんでもいい。
昭和の青春時代の思い出の基地を作ろう。
どうせ作るなら大きな基地にしよう。
そうだ!アリの巣みたいに、いろんな小部屋のある基地にしよう。
なんの秘密基地になるのか、今はまだわかりません。
とにかくたくさんの秘密基地を気まぐれに作ってみよう。


小部屋を覗く方は粗茶の一服でも差し上げたいのですが、自分でおいしいお茶を持ち込んで、ゆっくりしていって下さい。
ひょっとしたら、お気に入りの基地が、いつの間にかできているかもわかりませんよ。

<昭和20年代の部屋>

昭和レトロ 私の記憶はなぜか昭和27年から始まります。   
水泳の1500メートル古橋の実況に聞き入ったこと、ヘルシンキオリンピックのラジオの声が遠くなったり、近くなったり、 妙に地球の裏側から来ている実感がありました。
ボクシング世界チャンピオンに白井義男がなった時の実況中継も興奮しました。


母が毎回欠かさず聞いていた、ラジオドラマ「君の名は」のイントロの音楽、ドラマの筋は知らなくても 「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ。」という部分だけは今でもはっきり覚えています。


テレビ放送が始まり、私たちの田舎の電気屋さんが 「今日の〇〇時からテレビ放送があります」と、宣伝がスピーカーを通して聞こえてきます。
僕たちは、その電気屋さんの店頭で一番前にしゃがんで、力道山のプロレスを見て大興奮しました。


明治、大正、戦前の昭和の時代は祖父からよく聴かされました。
明治15年生れの祖父は新聞を音読してました。
それもフシをつけて読みます。
祖父が特別なのではなく、明治の人はよく音読していたようです。
だから私にとって明治は、たいへんイメージが湧く時代です。


昭和27年~29年

〇 日航機もく星号が三原山に墜落。 (27年)
〇 NHKラジオ「君の名は」放送開始。 (27年)
〇 白井義男 ボクシング世界フライ級チャンピオン。(27年)
〇 テレビ放送開始。 (28年)
〇 中国からの引き上げ船「興安丸」舞鶴港へ (28年)
〇 奄美大島が本土復帰。
〇 プロレス中継が始まる。 (29年)   


<流行語>
老兵は死なず・アジャパー・社用族・恐妻・洗脳・さいざんす・ コネ・空手チョップ・むちゃくちゃでござりまするがな・ パートタイム・ロマンスグレー


<新商品> 国産テープレコーダー・白黒テレビ・電気洗濯機   


<公務員大卒初任給>
5500円(26年)・8700円(29年)



<昭和30年代の部屋>

昭和レトロ昭和30年代は思い出多き時代です。
小学校時代から高校時代まで。
秘密基地で遊んだ頃から、大学に入るまで。


30年代初めは、まだ我が家の水は井戸でした。
しかもツルベを井戸に落として 水を汲み上げます。
井戸の横にコンクリートの流しがあって、そこで顔を洗います。
お風呂は五右衛門式で、井戸水を何倍もバケツで運びます。
それと台所、・・・(と言っても土間で鍋、釜をマキで炊く式)の水がめに、水を満タンにすることが 小学生の私の受け持ち。


しばらくして水汲みは手押しポンプに変わりました。 直径7~8センチのポンプの口から勢い良く水を出すため、体全体を使ってポンプの取っ手を 上げ下げします。
暮らしは、ラクではなかったようです。
田舎ではどこも同じようなものでした。


父は夜遅くまで卓袱台や茶箪笥を作ってました。
母も近所の人の縫い物で生計を助けていました。
でも特別貧しいとも感じることなく、元気に遊びまわっていました。


鬼ごっこ、缶けり、ビー玉、竹馬、野球、(野球と言っても、空気の入ったゴムのボールで、当然グローブなどは ありませんし、バットは竹の棒)。
そして小川でフナや、どじょう捕り。
日が暮れても帰らないので、厳しい祖母に入り口のカギを閉められたこともしょっちゅう。


昭和32年、ソ連が人工衛星「スプートニク」を打ち上げました。
それから、宇宙にも興味が湧き、暗い田んぼ道で懐中電灯片手に星座の位置を調べました。
秋から冬にかけての星空はにぎやかです。
中学生になってから、我が家の秘密基地で天体観測のマネゴトをするようにもなりました。


トランジスターラジオが出たのもこの頃でした。
お寺の和尚さんが、手のひらに乗る小さなラジオを聞かせてくれて、コードがなくて、どこへ持っていっても 聞かれるのがとても衝撃的でした。
このときは、父に、あのラジオが欲しいといって困らせた記憶があります。
秘密基地にピッタリのアイテムだと思いました。


皇太子様ご成婚の時、我が家にもやっとテレビがすわりました。
当時水原監督の巨人ファンだった私は、天覧試合での長島選手のサヨナラホームランのシーンは強烈に 焼きついています。


昭和35年は何と言っても安保闘争。 国会デモで東大の女子学生が死亡するという事態もおきました。
私はなんだかわからないまま、心情的に「安保反対」とテレビに映るデモ隊と一緒に叫んでいました。
大学生の兄はノンポリで今日も休講、明日も休講と喜んでいました。


昭和39年は思い出多い年になりました。
東京オリンピック。大松監督率いる女子バレーの決勝戦。
国民の大部分がテレビにかじりついて応援しました。


昭和30年~34年


〇 東大糸川博士でペンシルロケット実験成功。(30年)
〇 宇高連絡線「紫雲丸」沈没。(30年)
〇 保守合同で自由民主党結成。(30年)
〇 栃錦 横綱に。(30年)
〇 猪谷千春が冬季五輪で銀メダル。(31年)
〇 住宅公団が入居者を初募集。(31年)
〇 東海道線全線電化(31年)
〇 国連総会で日本の加盟が決定(31年)
〇 経済白書で「もはや戦後ではない」とうたった。 (31年)
〇 家電ブーム 「三種の神器」 (31年)
〇 太陽の季節 石原裕次郎 スターへ (31年) 〇 南極観測 昭和基地設営 (32年)
〇 東海村で原子の火ともる。(32年)
〇 ソ連スプートニク打ち上げ (32年)
〇 大相撲が年6場所となる。 (33年)
〇 フラフープ大流行 (33年)
〇 ウエスタンカーニバル 平尾昌章 山下敬二郎 ミッキーカチス (33年)
〇 皇太子ご成婚 (34年)
〇 長島選手の天覧ホームラン (34年)
〇 伊勢湾台風   


<流行語>
太陽族・三種の神器・なんともうしましょうか・ケセラセラ・ イカす・カミナリ族・栃若時代   


<公務員大卒初任給>
9200円(32年)・10200円(34年)


昭和35年~39年
〇 浩宮様ご誕生(35年)
〇 米国 ケネディ大統領に。(35年)
〇 テレビのカラー放送始まる。(35年)
〇 ソ連有人宇宙船打ち上げ成功 (36年)
〇 堀江謙一さんヨットで単独太平洋横断 (37年)〇 吉永小百合スターに (37年)
〇 国産初の旅客機YS11。(37年)
〇 巨大タンカーの時代へ (37年)
〇 黒四ダム完成 (38年)
〇 大相撲 大鵬・柏戸時代 (38年)
〇 貿易自由化 (38年)
〇 東京オリンピック (39年)
〇 東名高速道路完成 (39年)
〇 東海道新幹線開通 (39年)
〇 映画 「ゴジラ」登場 (39年)   


<流行語>
家付きカーつきババア抜き・レジャー・地球は青かった・不快指数・青田買い・無責任時代・カギッ子・巨人、大鵬、卵焼き・   


<公務員大卒初任給>
12900円(35年)・19100円(39年)



<昭和40年代の部屋>

昭和レトロ40年代は私にとって、色んな節目のあった時代です。
社会人、結婚、父親。





昭和40年~45年
〇 ベトナム戦争で米軍北爆開始。(40年)
〇 日韓条約調印。(40年)
〇 南海ホークス 野村捕手三冠王。(40年)
〇 公害問題が表面化。(40年)
〇 ビートルズ来日。(41年)
〇 中国で文化大革命が始まる。(41年)
〇 NHKドラマ「おはなはん」 フジテレビ「ジャングル大帝」 グループサウンズ黄金期
〇 小笠原諸島返還。(43年)
〇 3億円事件。(43年)
〇 プラハの春弾圧(43年)
〇 アポロ11号月面着陸 (44年)
〇 東大紛争、安田講堂事件 (44年)
〇 コント55号人気爆発 (44年)
〇 よど号事件 (45年)
〇 三島由紀夫事件 (45年)
〇 大阪万国博覧会 (45年)   


<流行語>
フーテン族・中流意識・ヤマトダマシイ・ハレンチ・造反有理・ あっと驚くタメゴロー・おーモウレツ   


<公務員大卒初任給>
21600円(40年)・36100円(45年)・72800円(49年)





   
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